いつかきっと行きたくなる、そんな時のための長崎二泊三日旅行ガイド

 熊本大分震災で、2016年5月以降の九州各地への旅行キャンセルが相次いでいるそうです。なんてこったい。そこでたまたま地震一週間前に長崎へ行き大満足だった私が、ここは一発旅レポでもと書きました!

 長崎最高。これを機会にぜひ皆様も!

 

 そんなわけで「いつかきっと行きたくなる、そんな時のための長崎二泊三日旅行ガイド」、以下よろしく。

※えらい長いので(写真含めてA4用紙15枚くらい)1日ごとに区切って読むのを推奨します

 

【長崎1日目】

 朝の9:15に長崎空港へ到着し、リムジンバスで長崎駅前のホテルに移動。荷物を預けていざ観光へ。

 長崎駅改札横にある「総合観光案内所」路面電車の一日乗車券(大人1名乗り放題で500円)を購入、以後移動は基本この路面電車と徒歩としました。ちなみにこの一日乗車券、名店やお土産屋さんの割引サービスも付いてたりして大変便利です。

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長崎は 路面電車の移動が便利で情緒もあって推奨です/©VTT Studio/ Shutterstock.com

 

 さてまず最初に向かった観光スポットは日本最古のアーチ型石橋「眼鏡橋」(1634年架橋。1502年架橋の天女橋(沖縄)は架橋時は琉球王国。川辺りまで石段で降りることができ、橋の裏側までじっくり眺めることができます。確かに造形として大変美しいんですが、石で積み上げられた堅牢な橋&たゆたゆと流れる川面の景観よりも、「TOKIOがこんなん作ってたな」となぜかTOKIOの評価が上がるスポット。運がいいと甲羅干ししてるカメに出会えます。

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黙子如定という中国から来たお坊さんが架けたそうです。TOKIOではなく

 (本エントリーをアップ後、Twitterにて「TOKIOに石橋作りを教えたのは長崎の人なんですよ」と教わりました。下記参照。さ、さすが長崎!)

tokio-jima.blog.so-net.ne.jp

 

 昼食はそこから徒歩2分の「きっちんせいじ」(名店「きっちんせいじ」さんは2017年12月30日に閉店しました。残念…)でトルコライスをいただきました。大人のお子様ランチですね。デブ殺し。うまし。一片の後悔なし。大量のマンガが積んであるマンガ喫茶風レストランですが、注文するとすぐ料理が来るためゆっくり読んでるヒマはありません。

 

 続いて向かったのは「亀山社中跡地&資料館」(リンク先、しばらくすると音が出ます)

 亀山社中はなぜあんなに急勾配な階段の上に建っているのか。あいつらこれ毎日登って通ってたんか。おい坂本お前だ。さすが幕末最強の意識高い系。いや展示は面白かったけど。龍馬が履いていたブーツが展示されています。けっこう今風。

 また、複製品ではありますが、「坂本龍馬暗殺時に飛び散った血痕が残る屏風」や「おりょうさんとの新婚旅行の様子を綴った、乙女姉さんに送った龍馬直筆の手紙」とかが間近で見られます。かなり字が汚い。いたよなこういう男子、という印象。

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 坂本龍馬の手紙。せっかちで筆まめだったんですね。「サカホコ」とか読めるのがすごい

 

 そこから龍馬像が飾られている「風頭公園」まではさらなる急勾配階段でした。階段の途中に「日本の夜明けを見届けろ」的なポジティブ名言を投げかける龍馬似顔絵付き看板がいくつも掲示されており、最初はのんきに励まされていたんですが、4枚目くらいからイラついてきます。 

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現代にいたら絶対FacebookやってIT会社起業してそう

 

 ほうほうのテイで辿り着きますが、前々からこいつみたいな金も権力もないコミュ力一発勝負な若者って苦手なんだよなと、坂本龍馬への心象がかなり変わります。お薦め。

  あとで地元の人に聞いたら、慣れてる人は頂上近辺までバスを使うそうです。「東京は平地ばっかりだから、地図見て近くだと思っちゃうんですよねーww」と爆笑されました。全部坂本が悪い。

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司馬遼太郎にかけられた洗脳がとけるくらいの坂でした

 

 その後に「長崎歴史文化博物館」へ。長崎県が10年前に80億円かけてオープンした大変気合いの入った博物館です。設計は黒川紀章氏で、再現された長崎奉行所セットや豪華で緻密な展示内容は圧巻。特におすすめは出口のところに座っている解説ボランティア(頼めばガイドしてくれます)と土日祝日に1日4回披露される寸劇です。

 

 小さな漁村だった長崎港が日本を代表する対外貿易港として歩みだしたのは、1570年本能寺の変の12年前)ポルトガル船が入港してからとなります。

 それ以前は近くの平戸港フランシスコ・ザビエルが上陸した港)のほうがよほど発展していましたが、その平戸港でポルトガル人死傷者が出る騒擾事件(宮ノ前事件)が起こったこと、当時長崎を統治していた藩主・大村純忠(日本初のキリシタン大名キリスト教の布教に熱心かつ財政上の理由から南蛮貿易の拡大を望んでいたこと、山に囲まれた立地条件ゆえ充分な開拓面積がなくその代わりに第三次産業を発展させていったことなどが影響しあい、長崎は急速に発展していきます。

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長崎と平戸の位置関係。だいたい長崎県の南端と北端

© 2015 Google Inc, used with permission. Google

 

 ただそれらの発展要因がのちの苛烈なキリスト教弾圧につながり、江戸期〜幕末の特殊な立ち位置から生まれた明治期における造船業と炭鉱業の隆盛、そして原爆投下へといたるという、まさにあざなえる縄のごとき街の記憶をボランティアさんが丁寧に解説してくれます。

 寸劇は大変素人くさくて(実際素人なので)微笑ましさ百万ボルトですが、ラストには踊り付きで『長崎ぶらぶら節』が楽しめます。

ぶらりぶらりというたもんだいちゅ♫

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単なる県立の博物館にはとても見えない豪華な作り。ここはぜひ行くべし

 

 続いては「浦上天主堂」へ。長崎は2015年に「明治日本の産業遺産」として世界遺産登録された施設がたくさんあるんですが、それとは別に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」も世界遺産に登録してほしいと、ユネスコに申請を出しています。

 それについては後述しますが、この浦上天主堂はいわゆる「弾圧、禁教」とは一歩離れた施設で、どちらかといえば爆心地に近かった関係で「黒こげになったマリア像」を見に行くのがメインとなります。

 ブルーを基調としたステンドグラスが荘厳(教会内撮影禁止。残念)

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今でも毎週日曜日はミサやってます

 

 次は長崎に訪れた人類には訪問の義務がある「原爆資料館」

 豊富な写真・映像・文章・実物資料で構成された、世界でも有数の原子爆弾資料館です。そりゃそうだ。ここ長崎は現時点において、実戦で使用された直近の被爆地なわけですから。

 展示内容を見ていると、平和への祈りがふつふつと湧いてくる……なんてことは全然なくて、普通にアメリカに対する怒りがわいてきます。爆弾一発で7万4000人を殺すなんていうめちゃくちゃなことをしておいて、よくその後も原爆実験を続けられるなと。世界の核実験数約2000回のうち約半数はアメリカ合衆国が実施したものであり、今もって核保有数世界1位であるわけです。お前いまんとこ世界で唯一の核加爆国なんだぞと(そういう現代の核事情の展示も豊富なのです)

 ぶりぶりと苛立つながら資料館を出ると、野良猫さんがひなたぼっこをしながら鎮魂碑をじっと眺めていました。あぁ…猫もいっぱい犠牲になったんだろうなぁ……などと思ったら、わたしにだって苛立つ資格なんかないことに気づきました。ごめん。

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きみらのご先祖様もひどいめに遭ったよなぁ 

 

 資料館から徒歩15分、初めて生で見る「平和祈念像」は思いのほか迫力がありました。右手は原爆が落ちてきた空を指し「脅威」を、左手は水平に伸ばして「平和」を示す、というのは知っていたんですが、膝を寝かせた右足は「静」を表し「瞑想」を、膝を立てた左足は「動」を表して「救済」を示している、という解説は初見でした。

 静かに閉じられた目と全体の雄々しいフォルムは神像にも仏像にも見えて、その向こうに広がる青い空と白い雲が切ないほど綺麗でした。

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デカいとは知ってましたが、想像以上にデカかったです 

 

 歩きすぎてへろへろになりながら公園備え付けのエスカレーターを下り、路面電車でフォロワーさんにお薦めいただいた「吉宗(よっそう)」へ。

 生まれて初めてドンブリ一杯の茶碗蒸しをたいらげて(1リットルパックのヤクルトを飲んだような気分です)ホテルに戻るも、身体中バキバキでこのまま寝たら明日動けないと思い立ち、無料シャトルバスで「稲佐山温泉ふくの湯 長崎店(温泉健康ランド)」へ行き、露天風呂に浸かって(夜景がすごいです。必見)マッサージ受けて帰ってきていまこれ書いてます。

 

 明らかに旅程を詰め込みすぎました。死ぬ。就寝。

(※当レポートは現地でとったメモが元になっているので時折感情がほとばしりますが疲れているんだとお察しいただきご寛恕ください)

 

【長崎2日目】

 少し遅めで8:30起床。コーヒーを飲んだあと、朝食として長崎駅前にある「アミュプラザ長崎」で「まるなか本舗のハトシロール」と「岩崎本舗角煮まんじゅう」をいただく。うおぉぉーーうまいぞーーーーっ。いくらでも食べられます。長崎の人はこれを毎日食べられるのか。羨ましいけど危険では。いや本当うまいけど(食べ過ぎました)

 一服後に事前に申し込んでいた「軍艦島(端島)上陸ツアー」へ参加するため長崎港の常盤桟橋へ。

 軍艦島ツアー(クルーズ)は4つのツアー会社がそれぞれ午前と午後の2便を運行しており、施設見学料込みで大人1名4000〜4500円です。どの会社に申し込むかで「どんな船で島に向かうか」と「どれくらいの人数で島を廻るか」が変わります。簡単に言うと船が豪華だと一緒に回る人数が多くなってガイドさんの説明がやや聞きづらくなるかな、という印象。各公式サイトで比較できますので、じっくり考えて予約(必須)しましょう。なおトイレが混みます。ツアー前に行っておきましょう。

(上記リンク先は私が申し込んだ1回45名程度のタイプです。ちょっと船は小さいけどガイドさんの声がよく聞こえてちょうどいい感じでした)

 

 さてさて軍艦島は、島そのものももちろん興味深いのですが、そこに向かう途中に(陸上からはやや見づらい)三菱長崎造船所を海からじっくり見られるのが嬉しかったです。現役で稼働しているジャイアント・カンチレバークレーンや香焼工場の三菱100万tドック、そろばんドックなどなど、やはり咸臨丸から戦艦武蔵、海上自衛隊イージス艦まで製造・補修している港というのは、一見の価値があります。

 なので船では窓際の席がお薦め。集合時間の15分ほど早く桟橋に到着すれば窓際に座れますので、狙ってみてください。

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 船窓越しにドックが見える。これも大変お薦め(写真は100万tドック。見えづらいが左端に写る豪華客船が小舟に見えるくらいデカい)

 

 上陸前に島の周囲を船でぐるっと回ると、高波(台風上陸時には護岸壁を楽々と越える波が打ち寄せたそうです)が打ち寄せる西側岸壁には住宅用団地が立ち並び、内海向きの東側には採掘した石炭を保存する貯炭地があることがわかります。

 人間より石炭のほうが大事だったんですねえ。

 

 上陸して見学できるのは30分ほど。ツアーの添乗員さんが各見学ポイントで解説してくれます。軍艦島は今も日々風化が進んでおり、特に建物の劣化が激しく、次に来る時は7階建ての団地跡が6階建てになっているかもしれない、とのこと。この一回性・唯一性はロマンですね。 

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リアルでラピュタみたいです。文明の墓碑

 

 約3時間のツアーを終えて、昼食は新地中華街「江山楼」皿うどんを食す。うががーーうまーうまー。

 関東勢は「中華街」というと横浜のあれを想像すると思うのですが、規模としてはグッと小ぶりで、お土産を見なければ15分で回れます。屋台で「食べるミルクセーキ」を購入しつつブラついてみましょう。もう一杯ちゃんぽんが食べたくなります。危険。

 のちほど、江山楼の皿うどんとちゃんぽんは「通販」で購入できることを知りました。ダシが絶品です。ぜひ。

 

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店構えは大変立派ですが、店内は庶民的でした。スープが絶品

 

 以前募集した長崎の美味いもんを募集したら大盛況だった! - Togetterまとめも必見です。ぜひご参照ください。

 

 さあ次だ。元気出して行こう。続いて向かったのは「グラバー園」

 裏側から回るかたちになりますが、「グラバースカイロード」がお薦めです。スカイロードは、簡単に言うとゴンドラ的な斜めエレベーター。乗ってから気づきましたが、『ブラタモリ』で見たなこの絵面。グラバー園に向かう観光客だけでなく地域住民も使っているところに、長崎特有の鷹揚さを感じました。

 降りた先にあるベンチで、昨日に引き続きノラ猫さんがひなたぼっこしておりました。長崎に多い「尾曲がり猫」で、このタイプの尾を持つ猫は東南アジア原産であり、江戸期にオランダ東インド会社の商船がネズミ対策で乗船させたものが日本で広まった、という学説があります。きみのご先祖様はジャカルタから来たのかあ。などと猫に話しかけておりました。なでなで。

 

グラバー園」にもボランティアのツアーガイドさんがいて、頼めば各展示物の解説をしてくれます。こちらもお薦め。

 教科書で読んだ程度の知識だと、「トーマス・ブレーク・グラバー」ってえらく不思議な人物なんですよね。

 というのも、単なる武器商人かと思ったら土佐、薩摩、長州といった雄藩だけでなくほぼ同時期に幕府にも武器を流している。それだけでなく見込みのある若者を英国に留学させ、また造船、蒸気機関、製茶、製鉄、採炭などの産業技術開発を進め、ビール会社の立ち上げ(のちのキリンビールにも携わったりしている。

 これって凄いことですよ。軍事・教育・交通インフラ・重工業・エネルギー・飲料事業と、明治近代社会を支えるほとんどの産業の節目に立ち会っていることになる。一人でそんなことが可能なのか?

 

 ガイドと一緒にグラバー園を回ると、そこのところを説明してくれます。

 まず「グラバーの仕事」として伝えられている多くの仕事は、グラバー1人で成したわけではなく、「シンクタンクとしてのグラバー商会」の業績であったこと。

 そして時代は19世紀末、グラバーには当時いわゆる「パックスブリタニカ」を背景とした大英帝国の世界戦略とバックアップ(具体的には対露・対中政策の一環)があり、それこそが明治日本の近代化を押し進めた原動力であって(同じ役割をこの半世紀後、敗戦後復興→高度成長期においてアメリカが担っていますね)、さらにこの布石が1902年の第一次日英同盟へとつながっていくわけですな。

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日本人初のオペラ歌手、三浦環『蝶々夫人』を演じている像が印象的でした。そうか、『蝶々夫人』の舞台も長崎なんだなと(関連資料がグラバー園にあります)。写真右はグラバー夫人のツルさん。おかずクラブのゆいPさんに似ていたので思わず撮りました

 

 グラバー園の出口付近には「長崎伝統芸能館」があります。

 別名「くんち資料館」と呼ばれており、毎年10月初旬に開催される国の重要無形文化財長崎くんち」の歴史と概要についての資料館となります。お祭りとして大変盛大で、地元の皆さんだけでなく観光客にも大人気の祝祭ではあるんですが、「“くんち”はキリスト教の弾圧から庶民の目をそらすため、時の行政府が奨励してきたため発展した」というクールで深い分析がさらっとあったりしてお薦めです。

 

 グラバー園を出てゆるゆると坂道を下る途中のお土産物店にて、「ニューヨーク堂のカステラアイス」を購入。「バニラアイスをカステラで挟んだお菓子」という殺人的なコラボレーション。まあカステラでバニラアイスを挟んだんだなって味がします。美味しくないわけがない。

 

 続いて徒歩10分で「大浦天主堂」へ。

 よく知られているとおり、日本におけるキリスト教の歴史は1549年に長崎の平戸港へフランシスコ・ザビエルがたどり着いたところから始まります。それから大村純忠公による発展、天正遣欧使節派遣(1582年)を経て、豊臣秀吉バテレン追放令(1587年)発令から本格的な弾圧が始まり、徳川幕府の禁教令(1614年)で全国的に禁止令・処罰が強化されることになりました(信者を密告すると賞金が出たそうです。現在の10万〜40万円程度)

 このキリスト教徒の弾圧政策は幕末まで続き、江戸幕府が開国政策に踏み切り、長崎に外国人居留地を建設して、その居留地内に教会を設置することで終わりを告げるわけですが、その教会完成まもない1865年3月、まさにその居留地内に建てられた大浦天主堂にて、この日まで隠れキリシタンとして命がけで信仰を育んできた教徒たちが、初代大浦天主堂神父プティジャン神父に歩み寄り、「ここにいる私ども全員の心は、あなた様と同じでございます」と告白したわけです。

 神父、ぶったまげただろうなあ。なにせ250年間ですよ。

 

 この「信徒発見」キリスト教史に刻まれた大事件であり、前述のとおり現在長崎県(昨年認められた「明治日本の産業遺産」とは別に)長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコ世界文化遺産登録を申請しています。バチカンからも応援メッセージが届いていますが、さてどうなることでしょう。

 

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雰囲気抜群で、ここに通えばそりゃなんでも信じちゃうよなぁ…と実感できます。「信仰とは祈りそのものにある」ってこういう意味なんだなと 

 

 ここらあたりですでに尽きつつある体力を振り絞って「出島」へ。

 長崎の出島は高度成長期に周囲を埋め立ててしまっており、「港に突き出ている島」ではなくなってしまったんですが(囲いは一応残っている)、長崎県もさすがにまずいと思ったのか、周囲を掘って「出ている島」に戻すべく復興事業を進めているそうです。

 まあ確かに普通に門をくぐって「ここからが出島跡地です」と言われても、実感はいまいち湧きません。

 ただ出島跡地に入ってすぐに、その狭さには衝撃を受けます。

 出島の面積は3969坪(約1.5へクタール)、サッカーコート約2面ぶんの面積のなかに数十人が暮らして、年に1度来るか来ないかわからない母国からの船を待ち続ける在外公館なわけです。もちろんオランダ人は出島の外へ出ることは禁止。これ、緩やかな監獄だよな…ということが実感できます。

 中の展示資料はなかなか充実。出島を通じた砂糖貿易が盛んだったからこそ、長崎は洋菓子が発達し、カステラ作りが発展したなどの説明は、単純ですけどハッとしました。なるほどなー。

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入ってすぐに出島のミニチュアの模型があるんですが、狭苦しさがよくわかってよい展示です 

 

 いよいよヘロヘロになりつつベイサイドエリアにある「出島ワーフ」長崎県美術館の美しい建物を見ながらお茶、その後、「海鮮市場 長崎港」でまぐろ・鯛漬丼と鯨ベーコンをいただきました。うまままー。

 ホテルへ戻る前に大きい書店があると耳にしたので「みらい長崎COCOWALK」リンク先、音が出ます)に入っている宮脇書店さんへ。書籍数が豊富でフロア面積も大きい旗艦書店で、長崎の文化度の高さを実感しました。

 ここ、TOHOシネマズも入ってるんですね。うーむ、1日いられるなここ。

 

 大型書店、映画館、博物館、図書館(県立図書館も市立図書館も大きくてしっかりしてるんですよこれが!)と、「坂さえなければ老後にぜひ住みたいが、坂がないなら長崎とは言えないし…」などと、非常に大きなお世話な葛藤に苦しみました。

 

 本日も歩きまくったので「ふくの湯」へ。前日は気がつかなかった「塩サウナ」なるものを試してみました。サウナ内に塩が山盛りで積んであり、それを全身に塗りたくって汗を出すというなかなか変態的な施設。塩豚の燻製になった気分になれます。

 その後、足裏マッサージを受けてホテルへ。

 ところでマッサージを受けるとたまに足の裏をぐりぐり押されて「あ、ここ痛いの? 胃が悪いね。こっちは生殖器」というようなことを言う人がいるんですけど、あれって西洋医学的な裏付けってあるんですかね。「エロい人は髪の毛が伸びるのが早い」なみにふわっとした話な気がするんですけども。

 さておき、本日もメモをまとめて就寝。明日帰ります。

 

【長崎3日目】

 疲れすぎて夢見る隙もなく8時起床。また寝すぎた。昼過ぎの飛行機で羽田へ帰ります。

 昨日と同じく「アミュプラザ長崎」へ向かい、「トランドール」JR九州系のパン屋さん)で朝食。ミルクパン、カレーパン、野菜パンをいただく。おいしいなーおいしいなーーー。東京にも出店してくれまいか。

 

 さておき本日の観光予定は午前中のみ。残された数少ない旅程を果たすべく、路線バスで「長崎ペンギン水族館」へ。

 

 その名のとおりペンギンをメインに置いた水族館で、全18種類いるうち9種類のペンギン(計約180匹)が飼育されています。その数は日本一なんですけど、まとめて見ると、せっかちなやつ、乱暴なやつ、おとなしいやつ、お調子者なやつと、個体によってかなり性格が違うんだな、ということがよくわかります。

 同じなのはみんな水の中を飛ぶように美しく泳ぐところ。

 あと異様に人懐っこい。

 

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「ペンギンウォーク」というイベントに参加すると異様に近寄れます。つーか近すぎ

 

 ペンギンは南半球の限られた地域に生息したため、人間社会と接触したのがかなり新しい部類に入る生物です(近世以降)。そのため古い家紋や紋章にペンギンを使ったものはごく少ないですし、なにより「中世以前の、人類の狩猟期に接触機会が少なかったため人を恐れる習性がない」という説もあるそうです。

 

 そんななかでも日本は比較的古くからペンギンの飼育方法を確立しており、全世界の飼育されているペンギンのうち1/4が日本にいるともいわれています。

 個人的には平面構造式のぱっと見が似ている、というだけで名付けられた有機化合物「ペンギノン」が好きです。

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いいですよね。名付けがストレートで/ペンギノン-Wikipediaより

 

 ペンギンとのたわむれを堪能したあとバスで長崎駅前にもどって、アミュプラザ長崎にて「メトロ書店」さんに立ち寄り。先日立ち寄った宮脇書店さんと並び、長崎学のコーナーがありました。

 長崎学は日本の郷土文化史のなかでもやや特殊な位置づけで、そこらへんは直木賞受賞作『長崎ぶらぶら節』なかにし礼著・新潮社刊)を読むとよくわかります。

 読むと長崎に行きたくなる作品です。ぜひ。

 

 昼食は長崎空港にある「五島うどん つばき」にて「地獄炊き」をいただく。美味しいなあ。毎日言ってるけど美味しいなあ。

 今回は旅程の都合で五島列島には行けませんでした。ハウステンボスも島原も断念。ぐぬぬ、2泊3日では足りないなあ。それくらい魅力あふれる街でした。

 

 五島列島にはぜひ行きたかったんですよね。五島は山本二三さんの出身地だからです。

 これは『くちびるに歌を』中田永一著・小学館刊)という青春小説にあるエピソードなんですが、『天空の城ラピュタ』宮崎駿監督作品/1986)『時をかける少女』細田守監督作品/2006)を担当したアニメ美術監督・背景画家の山本二三さんは長崎県五島市出身なんですよね。

ラピュタ』や『時かけ』といえば数あるアニメ作品のなかでも「青い空と白い雲」が印象的な作品です。私たちがなにげなく「美しいな」と思って見ていた空と雲は、それを描いた山本さんが幼い頃に見た五島列島の空や雲と同じであるかもしれず、そうであるならその景色を実際に見に行きたい、その下で(パズーや真琴のように)寝っ転がって見上げてみたいとずっと思っています。

 なんとかぜひ、行きます。

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 いやーなんつーか、いいですよねー、この空と雲。

『天空の城ラピュタ』『時をかける少女』各DVD版ジャケット)

 

 あ、最後に、本エントリ冒頭に紹介したJR長崎駅にある総合観光案内所路面電車の一日乗車券とかをここで買える)の対応力がすばらしかったことを付記しておきます。JRの職員が窓口対応にあたっているのだと思うんですが、長崎市内って路面電車、路線バス、電車、観光ツアーバス、タクシーと各種交通機関入り組んでいて、「この観光地からこの観光地への移動はどういうルートが望ましいか」という行程設計が異様に複雑なんですね。

 そんななかで最適・最安なルートを次から次に訪れる旅行者(英語、中国語でも対応していた)に向けて短時間で伝えていて、訪れるたびに感動しました。

 いやー最近よく「観光需要を盛り上げる」というじゃないですか。でもそれって観光資源を見つけてきたり箱ものを整備するだけじゃなくて、こういう「対応力のある人材をきっちり育成して厚遇する」っていうのが大切なんだなと、古くから観光を自治体の柱にしてきた長崎に来て実感したのでした。はい。

 

 以下、長崎空港のお土産コーナーにて購入したもの一覧です。

 びわゼリー、一口餃子、からすみ、ハトシロールとチャンポン天、練り物詰め合わせ、焼酎お試しセット、皿うどん角煮まんじゅう、よりより。カステラは和泉屋、長崎本舗、松翁軒福砂屋のものを一本ずつ。

 うーん、全部食えるのかこれ。

 宅急便で送ってもらい、帰途に。長崎、やっぱり最高でした。

 

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©TOMO/Shutterstock.com

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